おおいたん酒のこと

追求しているのは、日常を豊かにするお酒!

大分県内の清酒・焼酎の蔵元は現在、36軒。地元の契約農家が栽培する米や麦、果物などを使って風土の味わいを引き出す蔵元や、自社で原料から栽培・収穫してオリジナルのお酒をつくる蔵元、そして、アイデアと個性を出しながら新たなファンを増やしている若い蔵元がたくさんいます。日常の食卓に、お祝いの席に、贈り物に、いつでも身近に感じたい。そんな魅力が、おおいたん酒にはあふれています。

写真:焼酎・カボス
戦国時代から醸されてきた地酒なんです
大分の清酒文化の始まりは、1468年の戦国時代まで遡ります。この時代に初めて登場した「豊後練貫酒(ぶんごねりぬきざけ)」は、もち米と白米、麹、焼酎を一度に仕込み、30〜40日後に臼でひいて絹漉ししたものでした。その後、全国に名を知られた「麻地酒(あさじざけ)」が誕生。蒸し米と米麹、水を仕込んで密封し、土に埋めて翌年の立春の頃まで熟成させる濁り酒。日出藩は暘谷城(ようこくじょう)の二の丸に麻地酒を貯蔵し、幕府への献上品としていました。現代の大分の清酒はこの製造工程の流れをくんでいます。
写真:屋根から煙が出ている
麦100%の焼酎が全国的な焼酎ブームを巻き起こす!
江戸期は清酒王国だった大分県。当時は発酵させた清酒粕に籾がらを混ぜ、セイロで蒸してアルコール成分を抽出する「粕取(かすとり)焼酎」をつくっていました。焼酎の製造技術がめざましく進歩したのは明治中頃。昭和26年になると、本格的な麦麹の開発も始まりました。健康食ブームで麦の栄養価が見直され出した頃には優れた麦麹の開発に成功し、昭和47年、麦麹と麦を原料にした麦100%の大分麦焼酎が誕生。香ばしく、まろやかで、酔い覚めさわやか。時代の趣向にマッチし、瞬く間に全国に焼酎ブームを巻き起こしました。
写真:4人で乾杯している
素材も自然も、圧倒的な豊かさが自慢です
およそ770km続く美しい海岸線と、標高1,700m級の雄大な山々。そして、湧出量が日本一を誇っている温泉と、山海の2つの国立公園。瀬戸内海に面し、豊かな自然がそこかしこにあふれている大分県は、美味なる食材の宝庫として全国的に知られています。温暖な気候、良質な天然水、生産者の顔が見える原料を用いたお酒づくりの技術は、豊穣の地・大分で今なお継承し続けられています。
写真:麦畑